現任地の名古屋工業大学に赴任して比較的早い時期に,米国国務長官としてイラン空爆のときの指揮官をさせられた「黒人で初めての米国国務長官」となったコリン・パウエルさんに「名古屋工業大学からの名誉博士号」を授与するって式典に参加させられたことが,今でも強く印象に残る。
コリン・パウエルさんの知能が高く,良い教育も受けてきたのだろうということは,当時はマスメディアの主流だったテレビの報道番組のようなもので動画と音声を見ただけでわかったし,個人的には「友達になりたいな」と思うくらい好ましく感じた人物だったけど。
米国の諜報機関(多分 CIA; Cemtral Intelligence Agemcy)からの「イラクでは大量破壊兵器(核兵器,化学兵器・生物兵器)を作ろうとしている人たちがいる」ので「ホロコースト」が起こるかもしれないて情報自体は間違いでなかっただろうと思うけれど,「それが実現されて,米国民が危険にさらされることになるから,その前に非人道的な大量兵器の開発をしている人に攻撃を加えて阻止しないと!」て,無差別テロが行われたのは歴史的な事実として残る。
今はどうなのか知らないけれど,当時のイラクに核兵器を製造できる技術はなかったし,むしろイランの方が核兵器を技術を作る技術を持つ可能性の方が高かったと思うけれど。
それと似たようなことが,日本の広島と長崎で起こったことも歴史的な事実でしょう。でも決定的に違う事実は「日本でも原子爆弾を作ろうと思えば作れるし,それは『日本の高校の教科書に書いてある物理と化学の知識』を使えばできるでしょ」てレベルの話なんだし。「日本結晶学会」て組織の会員になると「最高の栄誉のある賞」て「仁科賞」てことなのだけれど。
仁科芳雄先生は,日本に「理化学研究所」が設立されたときのキーパーソンとして,もちろん尊敬していますけれど,「核兵器なんて,誰でも少し練習すれば作れるよ」て部分と「だけど,使ってしまったら,他の人から嫌がられるから,使わないようにした方が良いと面う」て部分があったと思うんだよね。日本の広島と長崎に米国から原子爆弾を落とされる前にね。
自分の父は 1930 年生まれで,日米が開戦した 1941 年の頃,東京に住んでおり,11 歳のころの記憶として「日本でも『新型爆弾』の開発をしていて,それが完成すれば『鬼畜米英』に勝てるよ!」のように言われたのですと。
Leave a Reply