自分が前任地の姫路工業大学(現在の兵庫県立大学)から現任地の名古屋工業大学へ助教授として異動したのは 1999 年の夏で,ちょうど当時の岡島学長が中日新聞が「名古屋工業大学学長の盗作疑惑!」的な記事を社会面で大々的にうたれた時期だったんですよね。今は全然違うと思うけれど,当時は若い研究者が自由に使える研究資金を確保するのは難しかった。当時の名古屋工業大学では「学長歳量経費」から「研究費」として「他大学から新しく赴任した新人の教員に 50 万円から 100 万円くらい提供する」習慣があったので「それは悪くないな」と思ったんだけど。
「新しいパソコン (personal computer) やその周辺機器を買うために 50 万円程度の資金を提供してください」て申請書を出して,学長と直接会う機会にお願いしたら,同席した Mb 省からの出向らしい人から「それは研究のために使うのですか?教育のために使うのですか?」て聞かれ「両方に使います」(そんなのあたりまえでしょ)て言ったら「どちらかに決めてください」て言われて,「ウソをつきたくないので,もうお金はいりません。パソコンは自腹で買います」と少しキレ気味に対応してしまった。
確かに当時は文部省と科学技術庁が合併するの?しないの?的な微妙な時期だったし。
日本の歴史として記録されるものを見ると「758 年(奈良時代)に源流を持つ文部省の方が,時代名称もついていない 1956 年に設立されたものより格上」な感じがあるわけだし,日本が江戸時代(1603-1868)には世界で識字率(literacy)が圧倒的なトップだったとされる背景もあるわけだし,合併するときには文部省の人の方を少し応援してあげても良いかなと思わないでもなかったけど。
でも,本当は主に科学技術計算などのために使いたかったのだから,「主に教育のために使います。これからの時代は,若い人もコンピュータ技術を習得することが要求される社会になることが予想されるので,そのような人たちへの教育をするために,教科書や教育のための資料を作るために使います」みたいなウソはつきたくなかったんだよね。実際にはソコソコやらされてきたけど。
授業担当を決めなきゃなとき「(東京大学理学部化学科で教育を受けたし)物理と化学は得意な方と思います。(日本の)数学はあまり得意でないかもしれません。できないわけでないと思いますけれど」的に答えたような気がするけれど,いきなり「コンピュータ・マテリアル・サイエンス」て「金属工学科学生向けの授業」を受け持たされることになって「で,どのようなことを学生に教えさせたいのですか?」て金属工学科の教務担当教員に質問したら「なんでも良いので好きなことを教えてください」て言われたけれど。当時でも金属の原子配列をシミュレーションして可視化するような技術はあった(今から見るとかなり低レベルだったけど)から「そんなことでも良いのですか?」て聞いたら「それで良いです」て言われたから。
したけれど。
当時の名古屋工業大学の学生の人には,「小学校の理科や,中学校の物理・化学・生物・地学で習ったことを,もう一度習い直した方が,良いかもしれないね」という印象を持ちました。名古屋工業大学の教員(教授・助教授・助手)の人に対しても,同じような印象を持ったかもしれません。
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